自分で創る

亀を凌駕すスローペースの更新にもかかわらず
存在してくれているこのHatenaのスペースに感謝。無料なのに。
出たい出たいと叫んでいる部分が少したまってきたのだが、
言葉を並べることから遠ざかりすぎていて何やら引っかかりを感じつつ流れに乗れることを願う。

とにかく最近わかってきた。
嘘ばっかりだった。それを信じてきた。
でも被害者意識は要らない。ただ信じたかった。信じた。
その経験の後に嘘であることを知る。嘘を知ることによって嘘ではないことを知れた。逆も。
しかしそれを嘘とするか嘘でないものとするかも自分が選択できる。
自由な世界。
ただ嘘は何かを傷つける。鋭く。
人の不幸の上に築き上げられる行為は気持ちいいものではない。
だから自分はイヤサカに意識を置きたい。
皆が栄える絵を描く。
それがやっと許可される時代に突入している。

ここに産まれて30年が過ぎ、
お叱りをうけたり、蹴飛ばされたり、抱きしめられたり、無視されたり、
見つめられたりしてきたが、
まだまだたどり着けず。
いや、正確にはたどり着いてるのだがそのことに気づいていない様子。
今まで出会ったあの人もこの人も自分に必要な体験をさせてくれるために存在してくれていることを考えると分離感も薄れ薄れ、
接吻をさしあげたいよ

いよいよ

みんな実は感じていると思う。
記憶の回路がこの状況を打ち消そう、黙殺しよう、としているのがみてとれる。
でも抗うことなんて出来ない。
それは全人類の地球の宇宙の然るべき流れの一環なのだから。
時代は変わるのであろう。
次元も変わるのであろう。
 
できるだけ流れに逆らわぬように軽快に移行していきたいものである。
そうはうまくはいかないだろうが.....

まだまだミクロだが

激しく雨が降っている。
久しぶりの独りの夜。
アパーフェクトデイフォー内省。


前回のブログから二ヶ月が経過しようとしているが、ずぶずぶとマクロビオティックの沼にはまっている。
沼というのは失礼か?
いや、このまだ完全に得体の知れないうごめく感じはやっぱり.....
沼だな


妙にストイックで、宗教的で、排他的な、自己満足の極み。
そんな風に眺めていたそれは、
片足を突っ込んでみるとなんと心地よいものか。

<自分がいまのところ体感していること>
1疲れにくくなった
2イライラすることが少なくなった
3体重3kg減
4味覚が鋭くなった
5本物はおいしすぎて笑いさえこぼれる
6玄米がおいしすぎる
7動物性食品をとらなくなったら
 アルコールへの欲求がなくなった
8感謝の念が湧いてくる

こんなところか

勿論食事だけではなく
哲学としてのマクロビオティックも研鑽させてもらっている。

一体どこにたどり着くのかわからないが、
体が喜んでいるのがわかるし楽しんでやっている。
期待して舵をとり続ける。

キパワーソルト 250g

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これはいいね

夏を観る

涼しい風に頬をなでられ目が覚めるこのごろ。
気持ちいいのだがなんだか物足りない。
夏は夏らしくあってほしいもの。
だらだらと寝汗をかき、じっとり湿ったシーツの上で、
蚊に与えた栄養の不必要なお礼を掻きむしりながら、少々半狂乱で起き上がり、
エアコンに手をのばす。
これがいい。
山での遭難からの奇跡の生還のような面持ちで再度夢の中へ。
この対比がいいのである。
相対的幸福。
しんどい思いをするから楽を感じれるし、病気になるから健康のありがたみに感謝できる。
しかしこれが曲者で逆の考えをすれば感謝すべき対象を曇らせてしまう。
もっといえば恨みの対象にすらなることもある。
本当は生きているということだけでとってもありがたいしそれだけで完璧で無限の可能性を与えられてるはずなのに。

自分はまだこの類いの幸福感に踊らされているけれど、
いよいよ外的要因に左右されない大きな柱を築くべく、
瞬間瞬間を大切に生きていこうと思う。

私たちは、終わった夏をもう一度試してみることは出来ない。
もっと恐ろしいことは、終わった自分の夏をだれとも分ちあうことが出来ない、ということである。               寺山修司

既知の外に未知がありさらに外には不可知がある

ある人にカルロスカスタネダの話を聞く。
興味深い。

呪術師と私―ドン・ファンの教え

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