正食中毒にむけて


最近の自分の構成要素の一つにマクロビオティックがある。
ここ一ヶ月以内に獲得し始めた新しい習慣。
まだまだマの字も覚束ないが
時間をかけて体感して体得していきたい。
そもそも食事療法としての認識が強いマクロビオティックだと思うが、
その根底には宇宙の法則、生命哲学が厳然と存在している。
身体性も精神性も丸ごとどっぷりつかってみようと思っている。
正しいからというより楽しいから。

ということで先ほどもマクロビオティックレストランにて夜ご飯。
この日記上ではじめての
お店紹介でも書こうと思ったのだが.....

否定的なことを並べてしまいそうなので店名をだせないという結果に。

決して悪い店ではないし真っ当な仕事をしているのだと思う。
ただ料理の全てからエネルギーを感じない。
唯一力があったのは玄米と食後の雑穀コーヒーだけ。

自分の感性が落ちているのかも



UAの「わたしの赤ちゃん」のカヴァーが良すぎる。
平和が充満している。
驚いたことに七尾旅人はこどもがいないにもかかわらず
この曲を生み出したそうな。
どいつもこいつもどうかしてる。

未だ見ぬ我が子を想い浮かべ
また自分の誕生を思い出しながら

エンドレスリピート[[]]

変化

住み移りが完了してひと月と二週間を経た。
日常が完全に投下される前に新しいことをはじめたい。

雑記としての性質の強かったこの日記(不定期すぎたし、無脈絡だし、無目的だった)もいよいよもう少し生産性のある内容にしたい。
が、どうするか?
PCの扱いは得意ではない。
しかしもうだからといって、「俺はアナログ派」という袈裟を着て、デジタルを使いこなせない自分の馬鹿さ無知さ向上心のなさを隠しつづけれるときではない。
もういいかげん直視する。(遅い、遅すぎる...。)

インターネット。
時代の要請であり、バーチャル世界は人類の潜在意識の投影らしい。
よくわかる話だ。

懐古主義者を一旦卒業、ここに宣言する。

時代の波を感じてみる。
感じなくてはならない。
恐ろしい速さでこれから革命が行われるのだろうから。

ワインとチーズと脳内麻薬でアイデアを探るか....

朝の窓を開ける

7:38a.m.の雨粒のワルツ。
漫然と生きている。
そろそろ真剣に着地点を描かないと何も残せないまま、何も与えられないまま、全てを終えてしまいそうだ。
まだまだ自分の命の習慣を矯正するのには時間が必要で、観念としては、在るべき姿も物事の捉え方も素晴らしい理想を手に入れてるのだけれど、
実生活に落とし込むのは全く容易ではない。

赤ワインを一本空けても酔うことを知らず、コミュニケーション不全をパソコンと対峙して紛らわす。
イライラを処理しきれず周囲にあたる。

少しからっぽにしないとな....

新天地にきて二週間が過ぎた。
この街は好きになれそうだし、ついでに自分のことも好きになっていきたいと思う。

とりのさえずりききながら

仕事を捨てて三日が経った。
先のこと何も決まらず。
ただ今に意識を向けたいが
習慣というものは頑固であり、
未来や過去に行ったり来たり。
全てを捨ててお金と時間を追い求めるべきか?

魂が全てを知っている。
聞け

いつのまにか

驚くべきか悲しむべきか、新年を迎えてから3日がたとうとしている。
あまりの生産性の低さに少しの目眩。
底なしの怠惰への引力にされるがまま。
少し抗おうとする気持ちがあるから余計たちが悪い。
時には川の流れのように.....。



仕事を休んで少し感覚(世界を感じるための)を取り戻しつつある。
で、過去に呼ばれている。



気が向いたらまた記すことにする

存在が耐えられない、けれど世界は美しい

知人と飲み、別れを告げ、霧雨の中を、うつむき、足下をみながら歩いているときには、自分の存在はどうしようもなく軽く、世間とのつながりをもたず、宙に浮いているのだと、世界が語りかけてくる。聞きたくはないけれどとめどなく。年の瀬に、冬の真っ盛りに、日本の東京で独り。なかなか絶望的である。
この感情が永遠に続かないことはわかってる。
十秒後には生きていることに感謝してたりもする。
ただ最近は慢性的にシューゲイザー(ギターはもたず)でありノーゲイザー。
さてどうするか