夏を観る

涼しい風に頬をなでられ目が覚めるこのごろ。
気持ちいいのだがなんだか物足りない。
夏は夏らしくあってほしいもの。
だらだらと寝汗をかき、じっとり湿ったシーツの上で、
蚊に与えた栄養の不必要なお礼を掻きむしりながら、少々半狂乱で起き上がり、
エアコンに手をのばす。
これがいい。
山での遭難からの奇跡の生還のような面持ちで再度夢の中へ。
この対比がいいのである。
相対的幸福。
しんどい思いをするから楽を感じれるし、病気になるから健康のありがたみに感謝できる。
しかしこれが曲者で逆の考えをすれば感謝すべき対象を曇らせてしまう。
もっといえば恨みの対象にすらなることもある。
本当は生きているということだけでとってもありがたいしそれだけで完璧で無限の可能性を与えられてるはずなのに。

自分はまだこの類いの幸福感に踊らされているけれど、
いよいよ外的要因に左右されない大きな柱を築くべく、
瞬間瞬間を大切に生きていこうと思う。

私たちは、終わった夏をもう一度試してみることは出来ない。
もっと恐ろしいことは、終わった自分の夏をだれとも分ちあうことが出来ない、ということである。               寺山修司